梅津さんの影響でまた本を読みはじめた。
最近はこの3冊。
殺人者の記憶法/キム・ヨンハ
永遠のおでかけ/益田ミリ
前進する日もしない日も/益田ミリ
益田ミリさんのエッセイは小学生の頃からよく読んでいるが、年齢を重ね感じるものが変わってきたように思う。
ぼんやりと頭の中にあった「大人」という存在に理想像を重ね架空の大人な自分に対して読んでいたあの頃。
今はすっかり大人になってしまい、自分の中のリアリティと重ね合わせて読めるようになった。
ふと思うのだが、私は日記の文体を意図的に畏まったものにしている。
後ろにいる第三者の自分がこの日記を書く私を見て「ふーん、かっこいいじゃん」と思うように、この文体を書く自分ってばかっこいい!と思いたいがためだけに、意図的にこのような口調になる。
本来の自分であれば「しぬwwwwwwwww」で終わらせるのが常であり現にインスタ裏垢のストーリーは草で埋め尽くされている。
では作家の方は意図せずともこのような堅い文体が出てくるものなのだろうか?
身体に染み付いたものとなっている可能性も大いに有り得るが、やはり第三者の自分から見て「かっこいい」を演出するためにどこか意図的に文体を変えているのではないか?と思う。
そう思うと、ちょっと笑えてくるのだった。