死にたいと思ったことはあるだろうか。


高校3年生の頃の私は予備校へ行く度に外階段の踊り場に立ち、ビルの7階から下を見つめていた。ここから落ちれば死ねる、ここから落ちれば自由になれる、消えてなくなれば終わる、悲しむ奴なんていない。呪いのように自分に言葉を浴びせて、ただ解放を夢見て、死ぬ勇気もないくせに死にたがっていた。


いつだか、テレビで中学生の自殺のニュースが流れる中、母に一度だけ尋ねたことがある。

「私が死んだら悲しいの?」

あくまでも冗談っぽくテレビを見ながらヘラヘラと聞いた。
母は

「悲しいに決まってるでしょ!それどころか気が狂ってどうにかなるんじゃないの…」

と答えた。
この世には私が死んだら悲しんでくれる人間が少なくとも1人はいてくれるらしい。そう考えると死ぬのはなんだか惜しくなる。


死ぬ勇気がない私はいざ手摺から身を乗り出しても喉をヒュッと鳴らしてすぐ逃げ帰っていたし、私が死んで悲しむ人間よりも迷惑がる人間を想像して死ぬ勇気をますます失っていた。生きてても迷惑なのに死んでも迷惑だなんてどこで生きればいいのだろうか。


小さい頃から貶され続けた人生で自己肯定感なんてものは微塵の欠片もなくなっていたし、なんとか生きていたのにそんな時でも貶されて私はすっかり自分という人間を肯定できなくなっていた。
友人からはどうしてそんなこと言うの?と聞かれる始末だ。無意識に言葉から自己肯定感の低さが出ているらしく、「私なんか」「私なんて」から始まる言葉にウンザリしていたようだった。
ごめんなさい。心配の言葉だろうに、責められたと感じてつい謝ってしまう。悪い癖だ。


父の口癖は「お前のせいだ」だ。お前のせいだ、お前のせいでこうなったんだ、お前が悪いんだ。大したことのない失敗でも笑いながらお前が悪いんだと言われた。そうか、私がダメな子だから失敗してしまうんだ。幼い頃から植え付けられた価値観は成長してからも変わることなく心の中に在り続ける。気づけば私はすべて自分のせいだと感じるようになってしまっていた。
友達には何度も「どうして謝るの?」と聞かれた。あなたは悪くないんだから謝る必要はないと言われても返す言葉は「ごめん」の三文字だった。


母だけは味方だと思っていた。だから死のうと思えていた。でも母は味方ではなかった。受験勉強を必死にやって、それでも結果が出なくて、涙を堪えて息を詰まらせながら頼ったあの日、母は

「本当に勉強してたの?」

と言った。
そうか、誰も私のことなんて信用していなかったのか、と思った。なんとか堪えていた涙が溢れて止まらなくなった。誰も私を見ていない。これなら死んでも迷惑をかけるだけではないか。


その日以来、死にたいと思わなくなった。